次世代を担う監督人事

2005年10月21日 15:43
ここに来て川渕氏の人事に対する発言が多くなってきたような気がします。

先日、次の「北京五輪」の代表監督に柱谷氏を推したいという話がありました。
そこに来て今回のワールドカップ後の監督人事についても考えがあるという発言です。
いや、考えがあるというだけにはとどまらずに人選案と言えども「私が選ぶ」という主旨の発言。恐れ多くも目に余ると思ったのは私だけではないはずです。

ワールドカップやオリンピックといえば、組織体にとっての一つの大きなプロジェクトです。そのプロジェクトマネージャを決定するにおいて「経験」「実績」「指導力」「求心力」、その他もろもろのステータスを加味してそれ相応の機関(委員会)での話し合いによって様々な角度からの分析によって決定しなければなりません。

ところがそれらの分析もままならずに一人の組織体の長によって「学閥」「人間関係」等のある意味二次的なステータスによってプロマネが決定される事態になってしまったらどうでしょう。それまで努力してきたプロマネ候補は自らが築いてきた力、「経験」「実績」が認められずに失望する事態に発展することもあるでしょう。そのプロマネの下につく人間も自分の力を発揮できない管理者の下でくずぶっていくかもしれません。小さなプロジェクトで成功したらその次に少し大きなプロジェクト。そこで成功したら次にまた大きなプロジェクトというのが一般的な管理者の選定方法であり、教育方法でもあると思うのですが。

上記の道筋で行くと小さなプロジェクトの成功(Jリーグ監督) → 大きなプロジェクトの管理者へ(オリンピック監督)という道筋が通常であります。名前があげられた方に置かれましてはいろいろな外的要因はありましたでしょうけど、小さなプロジェクトを失敗に終えられております。失敗の後にもっと小さなプロジェクト(大学監督、コーチ)を経験されておりますし、力を蓄えていらっしゃるとは思いますがいきなり大きなプロマネになるのは...。

確かにその選択方法によって失敗が確約されたわけではありません。失敗か成功かという観点から言うと一つの博打だとも言えるかもしれないのですが、博打であればリスクに応じてハイリターン、ローリターンの言葉が使われますようにリターンの大きさが変わります。しかしワールドカップやオリンピックにおきましてはリスクに応じてリターンが大きくなることはありません。ましてやリスクが大きければ大きいほど、リターンが減る可能性も。リターンの最大目標としましてはあくまでも優勝。そして次世代のわが国のサッカーに対する礎作り。こんな大事な仕事をまかせられるに値する人間を探すのに一人の裁量によって決められるのはあまりにも危険な賭けなのではないでしょうか。

優勝とは果てしない目標ですが、優勝しなかったらすべてが終わりになるわけではなく、チーム作りのプロセスにおいてこれからのサッカー界に残っていくものは必ずあるはずです。敗戦から学べる事は勝利で学ぶ事の数倍も意味があるものなのです。結果も大事ですが、将来に対する日本サッカーを任せられる人間。そういった指揮官を我々は望んでおります。

殿、どうか気をお確かに

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