サッカー選手としてのピーク

2005年9月29日 22:16
サンフレッチェ広島ユース初代キャプテン、川崎さんのお話の続きです。

初年度の広島ユースには東京、千葉、北海道、松山と様々なところからレベルの高い選手が集まってこられたとの事です。
しかし、当時はヴェルディユース、横浜マリノスユース、ガンバ大阪ユースの3強独占時代だったらしく、広島はユースが出来た初年度で1年生しかいない状態であったので、広島ユースは15点差で負けたりすることもあったとか。川崎さん的には正直、これは一生適わないなと思ったらしいです。

ちなみにガンバ大阪ユースは元々は釜本FCという強豪チームがあって、そこをそのまま松下が引き継ぐ形でガンバ大阪ユースとしてチームが発足しました。
この時のガンバ大阪ユースには、現在の日本代表でもありますガンバ大阪の宮本や、元ガンバ大阪の松山明男や、そして何よりもサガン鳥栖でも活躍してくれた魅惑のレフティ高木健旨がいました。筆者は高木がすごい大好きで時折("極稀に"ともいう(笑))見せてくれる華麗なドリブルと鋭いクロスの虜になったものです。ところが昔っからのサガン鳥栖サポでさえよく覚えていないとかいうしなぁ。。。

さて、その高木の事を川崎さんに伺ってみると

川崎 「ガンバ大阪で一番うまかったんじゃないですか?とにかくボールの扱いが人とは違いましたし、かなり上手でレベルの違いを感じました。宮本よりも上手でしたよ」

筆者はそれを聞いてもう大感激ですよ

しかし、そんな高木もJリーグでは輝くことはできずひっそりと引退しております。

川崎さんは、高いレベルになると、プロ選手そして活躍するかどうかはピークの時期と運が重要だと申しておりました。
高木はたまたま中学や高校時代が選手としてピークだったのだろうと。
確かに、選手としてピークの時期が遅い選手であれば学生時代に有名ではなくてもプロとして活躍している人はたくさんいますよね。
そして同じくらいの力のある選手だとしてもトップチームの同じポジションの選手の怪我や出場停止がない限りチャンスは巡ってきません。
もちろん、出場チャンスが回ってきたときにその実力をいかんなく発揮する必要もありますが、その出場のチャンス自体をつかむのは運もありますよね。

Jリーグがスタートすると同時に、ユース年代ではハウス食品がスポンサーとなってJユースカップが行われましたが、初年度の優勝はヴェルディユース(実質は読売ユース)、そして次の年の優勝がガンバ大阪ユースでした。そして第3回大会優勝は...なんと川崎さんの率いるサンフレッチェ広島ユースなんですよね。
初年度に15点差もつけられて負けていたサンフレッチェ広島ユースが如何にして強豪チームになることができたのか。

次回はサンフレッチェ広島ユースの初年度監督である、小林伸二さん(現セレッソ大阪監督)についてです。

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